身を知る雨






強引な土方に連れられてやって来たのは日野の石田村だった。広々とした田んぼや畑が広がる田舎…数度しか足を運んだことのない総司だったが、ここが土方の実家の近くだということはわかる。
「歳三さん、まさか私にお兄さん方へ浪士組参加を説得して欲しいなんて言うんじゃないですよね?そういうのは近藤先生にお願いしてください」
「誰がお前に頼むかよ。…いいから黙って俺の言う通りにしろ」
尊大な土方の言い分に総司は口を尖らせる。昔から子分のように連れ回されたが、もう二十歳を超えたのだからその扱いをやめて欲しいものだ。
そんなことを考えていると目の前に一際大きな敷地を持つ家が見えて来た。近所では『お大尽』と呼ばれる土方の実家だ。
(相変わらず立派だなあ…)
生まれてこのかた貧乏な家に育ち、貧乏な道場に引き取られた総司には見慣れない光景だ。
しかし土方はさっさと中に入り、遠慮なく玄関を開ける。自分の家なのだから当然といえば当然だが、今日はより一層豪胆に見えた。
「兄さん!喜六兄さん!」
土方が大音声で叫ぶと中から慌ただしく人の足音が聞こえてくる。しかしそれよりも先に「何事だ」と顔を出したのは年長の兄だった。
「為次郎兄さん」
「騒がしいな。そんなに大声で呼ばなくとも喜六は中に居るだろうよ」
土方が彼のことを呼んだので、総司は(この人が)と思った。土方よりも二回りほど年の離れた為次郎のことは何度か話に聞いたことがある。目の焦点は合っていないが、こちらを穏やかに見ていた。
「兄さん、これは総司だ」
「はじめまして、試衛館塾頭沖田総司です」
「ああ、宗次郎君か。君のことは歳三から聞いている…思ったより大人びた声だ」
微笑む為次郎はやはり兄らしく土方に似ている。土方が何十年か年を取ればよりそっくりになるだろう。
そうしているうちに呼びつけられた喜六がやってきた。小柄で面立ちはあまり似ていないが、不機嫌そうな顔を丸出しにしているのは別の意味で土方とそっくりだ。
「まったく突然帰ってきたと思ったら何事だ。浪士組の話なら聞く耳はねえぞ」
「そういうわけにはいかねえ。出立の日取りが決まった。俺は参加する」
「馬鹿言え。前にも言ったが、お前みたいな半端者、野垂れ死ぬに決まっている。死にに行くようなもんだ。それにおのぶだって反対していると聞いたぞ」
「だから『覚悟』を見せにきたんだ」
「なんだと?」
土方と喜六の険悪なやりとり…総司はそれを唖然と見ていたが、突然土方に腕を引っ張られて喜六の前に投げ出された。
「と、歳三さん?」
「こいつは試衛館塾頭だ。近藤先生の次に腕が立つ…」
「だからなんだ」
「今からこいつと真剣で勝負する」
「はぁ!?」
一番声をあげたのは喜六でも為次郎でもなく総司だった。
「ちょっと歳三さん!何を考えているんですか、真剣だなんて冗談でしょう…!」
「俺の言うことを聞けって言っただろう」
「そんな横暴な…」
「いいだろう」
混乱する総司を遮るように、喜六の重々しい声が響いた。
「ただしお前が少しでも怖気付いて後退りするような真似をすれば、浪士組参加は諦めろ」
「…わかった」
喜六が腕を組み土方を見据える表情は真剣そのものだった。そしてまたそれを受け取る土方にも真摯な意思がある。
(本当に…認めて欲しいんだ)
家の許可なく勝手に浪士組に参加することだってできる。土方だって良い年なのだから自分の人生は自分で決めると突っぱねることもできるだろう。けれどそうしなかったのはどれだけ離れていても血の繋がった『家族』であるという気持ちが心の片隅に在り続けるからだ。
「…そういうことなら庭へ行こう。ここでは狭い」
為次郎の提案で四人は広々とした庭に移動する。『お大尽』の屋敷は思った以上に広々としていて、屋敷の中にも畑がいくつもあるなか、その一角に庭があった。冬の花が寒い季節を好み庭の端で咲き誇り、決して賑やかではなく広い空間や開放感を意識した見渡しの良い庭だ。
その美しい庭が見渡される縁側に喜六と為次郎は腰掛ける。すると喜六の女房や住み込みの女中なども顔を出し、縁側は見物人で溢れた。
「…なんか大事になってるんですけど」
「ったく…。まあいい、お前はいつも通りにやれ」
「いつも通りって…もう…」
土方の無責任な言い草に総司はため息をつく。真剣を向けたことなど数えるほどしかない。それはどれも自分にとっての『悪』だと確信したからこその行動であり、相手が土方だと思うとまた気の持ちようが違うと言うのに。
しかし土方はまるでそんなことに構うことなく自らの真剣を抜いたので、総司もそれに従った。天然理心流の木刀よりも軽いのに、両手にはズシリとした鈍い重さと緊張感が走る。
その切っ先を土方へと向ける。冬の日差しを浴びて光沢を持つ刀身に吸い込まれるようだ。
試合ではないので始まりの合図はない。しかし互いに「今だ」と思う瞬間は同じだった。
総司は踏み込んだ。相手の出方をを伺う必要はない…土方の剣のことならよく知っている。勝気な彼は初手から攻めてくるのが常考だ。ただいつもと違うのはキィィンという刀が打つかる音。耳を劈くようなそれが『いつも』とは『違う』ということを見せつけるのだ。
(歳三さん…)
怪我をさせるわけにはいかない…そう気遣う総司とは裏腹に土方には躊躇いがなかった。容赦なく刀を振り、手練れの総司の方が戸惑ってしまう。怪我だけでは済まない、命まで落とすことになりかねない…土方はその『覚悟』をしている。
ーーーさしむかう 心は清き 水鏡ーーー
たった半年の浪士組。
けれどその半年という時間に、好奇心や野心をむき出しにして誰よりも希望を持っているのは土方なのかもしれない。
ーーー水鏡。
(僕も…同じだ)
近藤や土方の感情に流されているだけかもしれないけれど、いま確かに在るのは彼らと共に生きていくという『覚悟』。それがどんなに苦しくて悲しくて険しい道でも、どこまでも行く。
総司は一層強く柄を握った。
そして二人の力は拮抗した。押しては引き、引いては押す…綱渡りのような展開を繰り返す。
その様子を縁側で土方の家族たちが固唾を飲んで見守っていた。喜六は一瞬も目を離すまいと瞳孔を開き、逆に為次郎は目を閉じて腕を組んでいる。時折女たちは手で目元や口元を隠しながらハラハラと見守っていた。
「…総司、もっと来い」
「!」
互いに息が上がっているのに土方は総司を挑発する。まるで面白がっているような表情に総司は苦笑した。
「…知りませんよ、もう!」
総司は大きく踏み込んだ。不思議と、怪我をさせてしまうかもという危惧はなかった。土方のことを信頼しているからこそ、前へ出たのだ。
キィィン!と一際大きな音が辺りに響く。総司が下から上に振り上げ、その衝撃で土方の手から刀が抜けたのだ。
土方は無防備になったーー総司はその首筋に刃を向けた。
「そこまでだ!」
喜六の制止で総司の手が止まる。あと少し動けば土方の首の皮が切れていただろうというギリギリのところだった。けれど土方は逃げることなくその場に立ち、涼しい顔をして
「…お前、本気でやりやがったな」
と笑った。総司は刀を鞘へしまった。
「歳三さんだって本気だったでしょ。おあいこです」
「兄弟子に華を持たせるっていう考え方はお前にないのか?」
「歳三さんが言ったんでしょう、『いつも通りで』って」
「口の減らないやつだ」
それまでの緊張感を払拭する総司と土方の他愛のないやりとりを喜六や女中たちは唖然と見ていた。とても真剣で刀を交わしたあとの光景には見えなかったのだろう。
するとただひとり、為次郎だけがパンパンと手を叩いた。
「いやあ見事だった!歳三、お前はどうやら知らねえところで成長していたようだな」
為次郎は笑いながら拍手を送るが、喜六は渋い顔をした。
「兄さん。何も見えていないのに適当なことを言うのはやめてください。歳三は負けたんですよ」
「勝ち負けは関係ない。俺は見えていないが、歳三が退かなかったってのはわかる。感じることはできる。いまみんなは二人の剣技に息を呑み圧倒された…違うのか?」
「…」
喜六を始め女中たちは押し黙る。
為次郎はゆっくりと立ち上がり、土方の前に立った。
「俺は盲だが兄弟に恵まれている。しっかり者の喜六、医者になった大作、家族思いのおのぶ…そして歳三。お前は昔から人一倍強気でやんちゃで、時に信じられないようなことをしでかす。いつまでもみんなに心配をかけてばかりだが、きっと盲の俺には絶対にできないお前なりの冒険をしているのだろう」
「為次郎兄さん…」
為次郎は探るように手を伸ばしながら土方の肩に手をおいて数回叩いた。
「俺はお前は羨ましい。だから、俺の代わりに色々な世界を見て来い。そしてそれを俺に教えてくれ」
「…ああ、わかったよ」
ぶっきらぼうだがその声色は穏やかであり呼応するように土方の表情が柔らかくなる。それは試衛館では見せない末っ子としての喜びに満ちていた。
「いいよな、喜六」
為次郎が喜六を呼ぶ。すると眉間にシワを寄せながらゆっくりとこちらにやってきた。
先に口を開いたのは土方だった。
「…喜六兄さん、散々迷惑かけてきたのはわかってる。だが今回は違う。根拠はないが…俺はこの道を歩まなければ一生後悔するんだ」
だから認めて欲しい。せめて送り出して欲しい。
土方の懇願に喜六はふうと息を吐いた。
「野垂れ死なずに戻ってくると約束するなら、行けばいい」
「…!」
「俺は仕事に戻る」
喜六は難しい顔のままそう言うと、あっさりと背中を向けてしまう。そして集まっていた家人たちにも仕事に戻るように促して去って行った。
認める…とは素直に言えないけれど、ぶっきらぼうながらも尊重する。
(やっぱり歳三さんと似てるや)
総司はクスクスと笑ってしまった。すると隣にいた土方は「笑うな」と照れ隠しのように小突かれてしまった。
為次郎は「愉快だなあ」と笑いながら総司へと視線を移した。
「沖田君」
「あ、はい」
「歳三のことを頼むよ。これは無鉄砲だからな」
「おい、兄さん。なんで総司にそんなこと頼まなきゃならねえんだよ」
為次郎は土方と似ている。だからまるで未来の土方から頼まれているような不思議な心地だ。
「…はい」
総司は頷いた。
この広い家は温かな優しさで満ちていた。