花あわせ2





人に理解されない。
それは幼少の時に痛いほどに刻みついた。聞いてはいけないものを聞いている…それが人の心の声であるということに気がつくまで、言葉に素直に返事をしていた。
【気色悪い】
【不気味な子】
子供は不思議そうに首を傾げ、大人は白い目で自分を見て、実の親でさえも呪われた子だと疎ましい顔をした。
彼らがどんな言葉で自分を蔑んでいるのか…それは心の声を聞かずともわかった。
だから必死に聞かないようにと耳を塞いだ。雨の日は部屋に閉じこもって誰にも会わない。心の声を雨音に溶かして混ぜて流すように、雑音だと自分に言い聞かせた。
そしてようやくそれが身についた頃、周囲の人々はあの不思議な力はなくなったのだと過信した。現金なもので自分の身に危険が及ばないとなると、神童だったのだと崇めるような者もいた。そのように遠ざかっていた人々が距離を縮めようとしたが、今後は自分から離れた。
元通りになるわけがない。
あの醜い心の声を聞いた後では、何を信じればいいのか。
【この子はおかしい】
母は言った。
何度も、何度も、何度も、何度も。
そんな母親に何を期待すればいいというのか。

だからわからない。
どうすれば元に戻れるのだろう。どうすればお前を救えたのか。
心の声は聞こえるのに、何もわからない―――。



夏が終わり、長雨が降り続く日々も過ぎた。秋へと移り変わる空を見上げながら総司はわざとらしくため息をついた。
「土方さんのせいですからね」
そう言っても、件の本人はまるで何も聞こえていないかのように涼しい顔で筆を持っている。
総司は仕方なく、障子を閉めて土方の前に膝を折った。
「聞こえてます?」
「…聞こえてる」
「じゃあ返事してください。上坂さんの件、どういうつもりなんですか?」
あれから数日が経った。
上坂幸太郎の親友である宮川数馬に間者の疑いが浮上した。彼が親しくしていた女が長州と通じているという監察からの報告が上がったからだ。
普段なら慎重に裏を取って動かぬ証拠を得た後で行動に移す土方だが、今回に限っては心の声が聞こえる幸太郎を嗾けてやや強引にことを終わらせた。総司は面倒ごとを幸太郎に押し付けたのだろうと思っていたが、あれからすっかり幸太郎と数馬の距離は開いてしまった。
「ただでさえ突然一番隊へ異動になって周囲からの風当たりが強かったのに…今回のことですっかり意気消沈してしまっているんです。仕事はこなしていますけど、心ここに在らずというか…」
「俺は上坂に宮川の無実を証明しろと言っただけだ」
「雨の日に、人の心の声が聞こえるのに、上坂さんにそう言ったんですよね?それは『心の声を聞いてこい』というのと同義じゃないですか?」
「…さあな」
「意地悪ですね」
土方は『新撰組の鬼副長』として手段を選ばない。今回のことも例外ではなく、使えるものは使う…ということだったのかもしれないが。
(あまりに…辛い結果だ)
彼が何を聞いていたのか…それは総司にはわからないが、唯一心を許していた親友から拒まれればショックを受けるのは当然だ。これまで築き上げていたものが崩れ去ってしまったのだから。
総司がもう一度ため息をつくと、土方はようやく筆を置いた。
「…お前がそこまでいうなら、上坂には休暇を与える。三日もあれば気分転換ができるだろう」
「じゃあ宮川さんにも同じようにしてください。三日もあれば仲直りができるでしょう?」
「…ガキじゃあるまいし…」
総司の提案に土方は苦笑したが、「わかった」と了承した。しかし釘を刺した。
「言っておくが、おそらくお前が思っているようなガキの喧嘩のような単純な話じゃねえからな」
「まあ…何も知らないまま心の声を聞かれていたという宮川さんの心情を考えれば、単純な話じゃないとは思いますけど」
「そうじゃない。上坂が心の声を聞いていただけであそこまで抉れないだろう。おそらく宮川の…聞いてはいけない邪なことを、上坂は知ってしまった。だから距離を置いているんだろう」
「邪なこと…?」
邪な、と聞いて思い浮かぶのは隊を裏切るようなことだが、すでに間者の疑惑なら晴らしている。それ以外の邪なことなど総司には思いつかない。その様子を見ていた土方はふん、と息を吐いた。
「あとは二人に任せておけ」
「…」
土方はそう言い放つと、再び筆を取る。
きっと土方は何かに気がついている。それは監察からの情報なのか、彼自身の野生の勘なのかはわからない。
きっと誰にも…土方にしかわからない。
(心の声か…)
自分の意思とは関係なく雨の日に聞こえてくるのだと語った幸太郎は、迷惑な力だと言わんばかりの表情だった。そのせいで幼少の頃から酷い扱いを受けてきたのだから当然だろう。
(でも一度は聞いてみたいな…)
目の前の彼が何を考えているのか。
何もわからない自分に、何ができるのか。
それを知りたいと思うのは、無知ゆえのわがままなのだろうか。



「上坂さんは三日間の休養です」
上司である一番隊組長にそう告げられた時、幸太郎はドキリとした。
此の所、隊務や稽古に身が入っていないのは自覚していたし、自分を情けなく感じていた。だからそんな自分への罰だと思ったのだ。
しかし沖田は笑っていた。
「なんて顔をしているんです。もっと喜んでください」
「喜ぶって…」
「先日、間諜を計っていた女を捕縛したでしょう。あの女は他にも隊士や浪士から情報を得てあちこちに売っていたんですよ。つまり、大手柄だったというわけです」
「はあ…」
数馬の馴染みであった阿木は様々な情報元と繋がりがあったようで、監察は捕縛に喜んでいるらしい…という話は、先輩である島田から聞いていた。しかし幸太郎にとってはどうでも良くなっていたので聞き流していたのだ。
「だから、副長直々に今日から三日間の褒美として特別休暇を与えられたというわけです」
「…しかし休暇と言われても…」
特に休みが欲しいと思ったことはなく仕事をしている方が気が紛れるため、幸太郎にとってはありがた迷惑ではあったのだが
「宮川さんにも同じく三日の休暇が与えられました」
と沖田から告げられ、幸太郎は再び心臓を鷲掴みされたかのような驚きを味わった。
「な…ぜ…」
「宮川さんの場合は褒美というよりも反省かな。二度と悪い女に捕まらないようにしっかり反省するようにと言いつけられたんです」
「…」
意味合いは違っても、二人とも三日という休暇が与えられた。それがまさか偶然ということは考えられず、幸太郎は沖田を見た。すると彼はニッコリと笑って
「仲直り、してくださいね」
と言って去っていく。おそらく沖田が根回しをしたのだろう。しかし幸太郎にはそれを喜べばいいのか、よくわからなかった。
(仲直り…か)
あの日。
数馬から言い渡された『絶交だ』という言葉は未だに耳元で燻っている。それから数馬は屯所ですれ違っても目を合わせることもなく通り過ぎ、幸太郎が引き止めても聞こえないふりをする。文字通りの『絶交』状態で、二人が親密だったことを知る他の隊士から心配されるほど二人の間は離れ切っていた。
それなのに、今更仲直りだなんて。
「そんな単純なものじゃない…」
喧嘩をしたわけではない。ただ幸太郎が今まで彼に『嘘』を付いていたことが彼に知られてしまったのだ。ましてやそれが彼の一番知られたくない声だったのだから尚のこと。
――ずっと心の声を聞いていたのではないか。
そんな数馬の疑いを否定してもそれを証明できるわけではない。数馬は絶望し、幸太郎に『絶交』という別れを言い渡したのだ。
(もうきっと、俺のことなんか…)
親友としても、想いの対象としても彼の心は離れてしまっている。そんな彼と今更どんな関係を築けばいいのか。
思い悩んだ幸太郎は前川邸の縁側に腰を下ろした。隊士たちが忙しなく巡察や稽古へ向かう中、幸太郎はこの三日間の休暇をどうしようかと悩む。
すると、意外な人物から声がかかった。
「どうしたんだい?」
「…山南、副長…」
山南敬助は親しげに声をかけてきた。同じ副長という立場であっても、鬼の副長と彼のような仏の副長がいる。しかし一介の隊士でしかない幸太郎はほとんど会話を交わしたことはなかった。
慌てて居住まいを正す幸太郎に、山南は「かしこまらないでくれ」と微笑みながら隣に座った。
「聞いたよ。間者を捕縛したらしいね」
「…いえ、俺は全然…」
「謙遜しなくてもいいよ。此の所の君の働きは目を見張るものがある。突然一番隊に異動になって訝しむ隊士もいたが、いまはそうでもないだろう」
「それは…そうですが」
心の声が聞こえる…それを沖田と土方に知られた後、一番隊に異動した際にはさまざまな憶測が体内に流れ嫌な思いをした。けれど沖田とともに浪人を捕縛したり、阿木を告発したことで隊士からの見る目が変わり、一番隊の居心地も良くなった。
しかし、失ったものもある。
「表情が冴えないね。何かあったのかな」
山南はまるで春の日差しのように穏やかな様子で問いかけてくる。人を震え上がらせる土方とは真逆に、彼は人の心を解いていく。
そのせいなのか、幸太郎は思わず心情を漏らしてしまった。
「…仲違いをしました」
「宮川君だね」
「はい。…周りは喧嘩をしているのだろうと笑いますが、俺たちにとっては…どうしようもない、修復できない亀裂なんです」
聞いたことを、聞かなかったことにはできない。
幼い頃から知っていたのに六番隊から一番隊に異動になった不安や寂しさで、数馬の心を疑いその声を聞いてしまった。まぎれもない自分の弱さによって彼は離れていったのだ。
(すべては俺のせいなんだ…)
考えれば考えるほど、自分を責めるしかなかった。
落胆する幸太郎を見て、山南はその肩を軽く叩いた。
「…何があったのかは、二人にしかわからないのだろうが…」
そう前置きして続けた。
「それでも今まで二人で過ごしてきた日々は嘘ではないのではないかな。宮川くんもそれを忘れたわけではないだろう」
「…そうでしょうか」
「きっとそうだ。でも何もしなければこのままどんどん距離が開いてしまう。それはとても残念なことだよ。だからひとまずは話し合ってみたらいい」
「…」
根拠のない励ましだとわかっていないながらも、幸太郎は頷いていた。
もう嫌われてしまったのだろう。心の声を聞いてしまった自分を恐れ、不気味に思っているはずだ。だからこそもう恐れるものはない。
(母とはやり直すことはできなかったが…)
あの頃の幼い自分とは違う。
無くしたものに目を背け、失い続ける日々を過ごすのはいやだ。
「…ありがとうございます、山南副長」
空は青く澄んでいる。雨の降る様子はない。




山南と別れた幸太郎はそのまま数馬がいるはずの八番隊の部屋を訪れた。山南に励まされ背中を押され上向きになった気持ちのまま、彼に向かい合いたかったのだ。
幸太郎が部屋に顔を出すと、
「おう」
と六番隊の隊士が声をかけてきた。
「なんか久しぶりだな。どうしたんだ?」
一番隊に異動になった頃には、異例の出世を果たした幸太郎に対してどこか妬みや嫉みといった感情を見せていた隊士だが、いまはそれも薄れた。
「…数馬は?」
「ん、ああ、さっきまで居たけど…三日間の休暇?謹慎だっけか?」
「ああ…まあ、そんなところだ」
阿木の一件は伏せられているようで「あいつ何したんだ?」と隊士は訝しげに首を傾げていたが、幸太郎は曖昧に濁して答えなかった。
「戻ってきたら、探していたと伝えてくれ」
「ああ」
言い残して部屋を去る。
数馬と話をしたい―――と息巻いた気持ちが彼に会えなかったことで空回りしてしまった。
気が抜けてしまった幸太郎は前川邸の縁側に腰掛けて、ぼんやりと空を見上げる。寒い風が葉を色づかせ、そのうちこの小さな庭の木々も赤く染まることだろう。
(…何から話せばいいのだろう…)
どう話せば伝わるのだろう。
いつから聞こえるようになったのか。
身近な存在だからこそ、今まで数馬の心は聞いていなかった。ただあの一度だけ自分の心の弱さのせいで耳をすませてしまって、それが結果的に傷つけてしまった。
順番に話せば彼も納得してくれるだろうか。
(母は…それでも信じなかった)
自分にもわからない『聞こえる』という事実をいくら話しても、母は受け入れなかった。その時の苦々しい気持ちはいまだに心に燻っている。
(それから…)
数馬の気持ち。
友情だと思っていた感情が、そうではないと知ってしまったこと。
(俺はそれにどう答えればいい…?)
知らなかったふりをすることはできない。聞き流してしまうこともできない。
でも自分が受け入れることができるのか?
いままで数馬を…むしろ男をそういった対象で見たことがなかった。だからその気持ちが数馬と同じ熱量ではないのに、受け入れることは彼にとって不誠実だろう。
(でも受け入れないと…)
数馬は離れてしまう。
「はあ…」
そんな風に打算的に考えてしまう自分を嫌悪した。
相手が好きになったからと言って自分が好きになればいいのか。そんな単純で子供騙しなことならばとっくに解決しているはずだ。
そうしていると前川邸の門前から聞き覚えのある声がした。
(数馬だ…)
直感した幸太郎はすぐに草履を履いて庭を駆け出す。
すると誰かと親しげに会話をしている数馬の後ろ姿が見えた。そしてちらりと覗く横顔の微笑みは、久々に見る彼の明るい表情だった。
幸太郎は息を飲む。
「か…」
足を踏み出し、手を伸ばす。
伝えたいことはまだまとまっていない。けれどその一言が大切だと山南から教えられていたのに、それ以上口にすることはできなかった。
「…」
数馬が楽しそうに話していたのは、野菜売りとして時折屯所のまで行商をする若い女子だった。あどけない顔立ちだが、愛嬌がよく隊士たちの間でも評判の女子だ。
「じゃあこれ、全部ちょうだい」
数馬は彼女が担ぐ野菜を買い取る。
「おおきに!」
弾けるような笑顔を見せた女子に金を持たせ、手を振って見送っていた。
『お前が好きなのに』
あの時聞いた言葉は聞き間違いだったのではないだろうか。あくまで友人としてのそれで、幸太郎が深刻に受け止めすぎたのではないか。
(きっとそうだ…)
「幸太…?」
「…」
野菜を抱えた数馬は背後に幸太郎がいることには気づかなかったようで、驚いた顔をしていた。
「…その野菜、どうするんだよ」
「ああ…三日間、反省を込めた休暇を与えられたからな。やることもないし、人手が足りないそうだから食事の準備でも手伝おうかと思って…」
数馬は長々と話したところでハッとして顔を背けた。
「お前には関係ない」
冷たく言い放った数馬は、そのまま両手に野菜を抱えたまま幸太郎の隣を通り過ぎようとした。
しかしその腕を幸太郎は掴んだ。
「な…っ?」
突然のことに数馬は驚き、野菜は地面にバラバラと落ちていく。
「な、なんだよ、お前とは絶交だって…」
「話がしたい」
「俺は話すことなんかない!」
数馬は幸太郎の腕を振り払おうとするが、もともと筋力では勝る幸太郎からは逃れることはできない。
「離せよ!」
「俺の話を聞くなら、離す」
「…っ、俺と話がしたいなら勝手に心の声ってやつを聞けばいいだろう!」
数馬の乱暴な物言いに、幸太郎もぐっと唇を噛む。
(聞きたくて聞いてるわけじゃない…)
苛立って、なお一層数馬の腕を掴んだ。
「いてぇよ!」
「…声は雨の日にしか聞こえない。だからいまはお前と話をしないとわからない」
「そんなの信じられるかよ!」
抵抗する数馬は眉を釣り上げ、渾身の力で逃れた。そして地面に散らばった野菜を集めて小脇に抱えて駆け出していく。
幸太郎は引き止めるように叫んだ。
「いつもの居酒屋!」
「…な…?」
「お前が嫌だって言っても俺は話したいんだ。今日の夜、待ってるから」
「…」
数馬は振り返らなかった。そして
「俺は行かないから!」
と答えて去っていった。




その夜。
幸太郎は馴染みの居酒屋で数馬がやってくるのを待ち続けた。
居酒屋の扉が開いては振り向き、数馬じゃないことを確認してため息をつく…ずっとそんなことを繰り返していた。具体的な時間を言わなかったせいか、数馬がいつ現れるのかわからず、それがとても長く感じた。
幸太郎は酒をチビチビと飲む。脳裏によぎるのは何故か数馬と野菜売りの女子が親しげに話している光景だった。垢抜けない田舎の女子だが愛嬌があって可愛らしく、数馬も目尻が下がっていた。
(やっぱりそうだ…)
『お前が好きなんだよ』
数馬の心の声を深刻に受け止めすぎたのだ。騙されていたとはいえ阿木にだって入れ込んでいて、一度となく男が好きだなんて素振りを見せなかった。
(俺の思い過ごしなんだ…)
行き過ぎた友情だ。離れ離れになった寂しさのせいであんなことを口走った…いや、それどころか心で思っただけに違いない。それをたまたま聞いてしまっただけだ。
心で何を思おうと、それは自由であり、それを言葉という形にしない限りそれは『意思』ではない。
(…そうだ…)
何もかもが心の通りではない。心はいくつも存在する。そんなことは昔から知っているはずなのに、それなのにどうして、こんなにも動揺しているのだろう。
数馬の心なんて知りたくないと思っていたのに、知った途端にもっと知りたくなる。
「勘違い…身の程知らず…自意識過剰…」
「何ブツブツ言ってるんだよ」
俯いていた幸太郎の耳に、聞き慣れた声が飛び込む。幸太郎はハッとして顔を上げると、それは空耳ではなくて目の前に数馬がいた。
「お…おう、来たのか…」
「なんだよそれ。お前が来いって言ったから…」
「行かないって言ってたじゃないか」
無理やり押し付けた約束に、数馬は「行かない」と突っぱねていた。幸太郎はすっぽかされる覚悟をしていたので、あっさり目の前に現れたので驚いてしまう。
すると数馬はバツの悪そうな顔をした。
「…お前、バカ真面目だから俺が来るまで本当にずっと待ってそうだし」
「まあ…そうだな」
「それに休暇を与えられて暇を持て余しているんだ。だから来ただけなんだからな」
「わかった、わかった」
決まりがわりそうな数馬に、幸太郎は苦笑した。
数馬は女将に酒を頼んだ。混んでいる店内はいつにも増して騒がしい。
そんななか二人は押し黙ったまま沈黙し、互いに強張った表情で俯いていた。
(なんて切り出せば…)
自分から呼び出したくせに何も考えていなかった。言葉を選んでいると
「…それで、話ってなんだよ」
数馬が促した。幸太郎は意を決して口を開いた。
「謝ろうと思ったんだ」
「…」
「ずっと…聞こえることを黙っていた。親友だと思ってくれていたのに、裏切るようなことをして…申し訳ない」
いつか話そう…と考えたことは実はなかった。ずっと誰にも知られることなく死ぬまで黙っていたかった。実の母親にすら受け入れられなかったのだから、きっと誰にも受け入れられないのだと決め込んでいた。
「…幸太が一番隊に移ったのはそのせいなのか?」
「ああ…。あの田中さんが斬られた時に沖田先生に気づかれた。俺が彼の心の声を聞いて思わず庇ってしまって…逃げ出すことを本人よりも早く察知してしまった」
たった一瞬のことだ。常人であれば気づかないあの一瞬を、けれども沖田は見逃さなかった。
数馬は続けて尋ねた。
「…じゃあ、沖田先生は知っていてお前を自分の組下に移動させたってことか?」
「ああ。俺はてっきり脱退させられると思っていたが…変わった人だよ」
思えば、幸太郎のことを一番最初に理解し受け入れたのは沖田だということになる。次第に一番隊に居場所を得たのも彼の理解があったからだ。
店の女中が酒を持ってやってきた。酒好きの数馬だが、なぜかなかなか口には運ばなかった。
「…俺の心の声を聞いたのは?」
「誓って言うが、俺が聞こえるのは雨の日だけだし、お前の声を聞いたのもここ最近のことだ。理由は、俺が一番隊に移ってお前と距離を感じた…だから思わず聞いてしまった」
幸太郎が「すまない」と頭を下げると数馬は
「もういいよ」
と少し投げ出すような言い方をして続けた。
「聞いたことを聞かなかったことにはできないんだろう?それに…お前に距離を感じたのは俺の方だ」
「え?」
「お前が一番隊に移って…本当は寂しかったし、羨ましかった」
数馬はようやく手元の酒を口に運ぶ。そして一気に煽って飲み干した。
「…っはぁ。…だから、そういうことなんだよ」
「は?」
彼の言葉の意味がわからず、幸太郎が数馬の顔を見ると、目を逸らした。
「だから…お前のことを『好きだ』とかなんとかって言うのは…お前がいなくなった寂しさっていうか…ガキっぽいけど、友達が別の友達と遊んでいると気分が良くないだろう?」
「それは…わかるけど」
「だから、そういうことなんだよ」
「…」
数馬は手酌で酒を注ぐ。
彼は幸太郎が『そうに違いない』と思ったことを肯定した。彼の最大級の友情であり、決してそれ以上を求めるようなものではなかった。
「じゃあ、これで話はおしまいでいいか?」
数馬は猪口を差し出し、乾杯を求める。その表情はいつもの穏やかなものに変わっていた。
これで仲直り。
これで喧嘩は終わり。
これでいつも通りに戻り、
これからも親友であり続ける。
(…これで、良かったんだよな)
幸太郎は自分自身に問いかける。
願っても無い結果に安堵する一方で、数馬の言葉を信じられないでいた。
(嘘だ)
と、なぜかそう思った。彼の笑顔の奥底に影が差したのは、たとえ雨が降っていなくったってわかったからだ。
でも、それでも
(選んだ『言葉』が全てだ)
もう二度と、彼の心を聞いたりはしない。
彼の口から吐き出された言葉だけを信じる。
だから、これ以上彼の心を見透かそうとしてはならない。
「…乾杯」
喧騒の中、ピンと器が重なる音が響いた。



それぞれに与えられた三日間の休暇を存分に利用し、二人は翌日のことを考えずに飲んだ。
心の声が聞こえる…その話には触れずに他愛のないことを話し続けた。それはまるでいつも通りの二人で…それを望んでいたはずなのに、幸太郎の胸には少しの痛みがあった。けれど数馬が楽しそうに笑っていたので、その痛みを飲み込んだ。
そして居酒屋を出て屯所に戻る頃にはフラフラになっていた。
「大丈夫か?」
「んー」
数馬に肩を貸して歩く。屯所まではまだ長いので当分こうして歩くことになるだろう。
「あー…久々に酔った」
顔を真っ赤に染めた数馬が幸太郎に寄りかかるように体重を掛けてくる。
幸太郎は「重たいな」と言いながら支えた。
数馬は上機嫌に続けた。
「…ん。やっぱり美味かった」
「いつもと同じ味だろ?」
「違う。お前と飲む酒が美味かったってことだよ」
「…」
酔いのせいかいつもより饒舌な数馬の言葉に、幸太郎は戸惑う。もちろんただの譫言だとわかっていたけれど、幸太郎にはこれで元通りだと安易に考えることはできず、それが特別な言葉のように思えた。
(俺は一体何を望んでいるんだ…?)
心の声が聞こえる自分なんかを許して、それでも親友として関係を続けてくれるという数馬。そんな心の広い友人を持ったというのに、まだ何を望むと言うのだろう。
自分のことなのに上手く答えが見つからず、いっそ自分の心の声が聞いてみたいとさえ思う。
繁華街から田舎道に入る。ひと一人いない静まった夜にサラサラと流れる川のせせらぎだけが響いていた。
空を見上げると燦々と輝く星が見える。しばらく雨は降らない…心の声は聞こえないだろう。
(聴きたいって思っているのか、俺は…)
それは卑怯だと幸太郎が首を横に降った時。
「幸太、気持ち悪い」
「え?」
数馬がそう訴えたので、幸太郎は彼を引きずるようにして河川敷に降りた。数馬は四つん這いになって何かを吐こうとしているが、特に何も出てこない。
幸太郎が背中をさすり、しばらくすると気分が落ち着いたのか彼は「はーっ」と長いため息をついた。
「…ごめん、もう大丈夫」
「酔いは冷めたか?」
「だいぶ、マシ…」
数馬はそう答えたが、幸太郎はしばらく休んで行くことにした。河川敷で名の分からない雑草を茣蓙にして寝転がる。澄み切った夜空に先程眺めた星が輝いていた。
「…なあ」
隣で横たわる数馬が話しかけてきた。
「どうした?」
「なんで…俺たち、仲良くなったんだっけ?」
「…同じ組だったからだろ?」
幸太郎は答えた。
入隊時期がほとんど同じで同じ組に配属された。年齢も近く数馬の社交的で明るい性格と幸太郎の物静かで無口な態度の凸凹が上手く重なった為、自然と距離が縮まったのだ。
(いや…)
「あ…」
ふと昔のことを思い出し、幸太郎はそれだけではなかったことに気がついた。
入隊当初の雨の日。
幸太郎は気がすすまないながらも巡察に出かけた。
【壬生浪や】
【偉そうに道の真ん中歩いてはるわ】
嫌われ者の壬生浪士組は、乱暴な荒くれ者の集まりだと嘲笑され、心の中では指をさして蔑まれていた。まだ入隊したてでその『声』に慣れていなかった幸太郎は、雨の日の巡察は特に疲れていた。
「屯所へ戻る!」
組長の掛け声で引き返す。この憂鬱な巡察からようやく帰れる…そう安堵した時、当時まだ距離感のあった数馬がいないことに気がついた。
(どこに行ったんだ…)
雨の中辺りを見渡すと、隊列から離れ道の端っこで身を屈めている数馬の姿があった。
その時、ふと心の声が聞こえた。
【寒いよなあ】
幸太郎の目にはただ数馬が蹲っているようにしか見えないが、誰かに話しかけているように聞こえた。
【悪いな、連れて帰ってやれなくってさ】
(…なんだあいつ…)
幸太郎は帰路を離れて数馬の元へ近づいた。すると彼の手元には小さな子猫が「にゃあん」とか細い鳴き声をあげていた。
【良い飼い主に拾われるんだぞ】
数馬は心の中でそう言って、子猫の小さな頭を愛しそうに撫でると、ようやく立ち上がった。
「わあ!」
振り向きざまに幸太郎がいて驚いたのだろう。声を上げて後ずさりながら、なぜか子猫の姿を隠すように立った。
【こ、こいつに見られたのか…?】
顔は呆然として顔を真っ赤に染めていたが、心の中では焦ったようにそんなことを言っていた。
(…照れくさいのか?)
まるで子供みたいだ。
「…屯所に戻るって」
「あ、ああ。そっか、わかったよ」
数馬は幸太郎から逃げるように駆け出し、そのまま隊列に加わった。
幸太郎は自然と口元が緩んでいた。
あの時、こいつと友人になりたい。…そう思ったのだ。
「…なんで笑ってんだよ?」
数馬の声でハッと我にかえる。あの時と同じように口元が綻んでいたらしい。
「いや…なんでもない」
「嘘だ。何か思い出してたんだろう?」
「なんでもないって」
あの時の心の声を聞いてしまった…なんて言ったら、数馬は恥ずかしがって怒るだろう。幸太郎が「なんでもない」と言い張ると、
「誤魔化すなよ」
と数馬が幸太郎の上に乗り、子供みたいに両頬を掴んで引っ張った。
「いたい、痛いって」
「白状したら離してやる」
「白状することなんて、なんにもないって…」
「お前に隠し事をされるのは嫌だ」
数馬の言葉に、幸太郎はハッと目を見開いた。
ほんのりと火照った彼の頬。酔っているのか正気なのかわからないけれど、その言葉はおそらく本音だったに違いない。
【俺はお前が好きなのに…】
ああ、そうだ。
(あの時のお前の言葉も本音だった…)
何が譫言で、何が冗談で、何が本音かくらい親友なのだからわかる。
「幸太…?」
幸太郎は覆いかぶさった数馬の首元から後頭部へと手を伸ばした。そして引き寄せて、口付けた。
「!」
数馬の薄い唇が、微かに震えている。当然だろう、まさかこんなことをされるとは思っていなかったのだから。
「…っ、幸太!」
数馬は顔を背けた。けれど幸太郎はそれを許さずさらに強く引き寄せた。
「と、友達だって…言ったくせに!…んっ」
「…ごめん」
何に謝ったのか、幸太郎ですら分からなかった。
頭がクラクラする。けれどいま目の前の数馬のことと、夜空で燦燦と輝く星しか見えない。
真っ赤な顔をした数馬は、口では拒むくせにそのうち身を任せるようにして黙った。
幸太郎は彼の全てに触れた。
心の声が聞こえない。だからこそより深く、より近くに感じて、彼が何を考えているのか知りたかった―――。




不思議なことに、心の声よりも彼に直接触れている指先からわかることの方が多かった。誰かと肌を合わせることは初めてではなかったのに、身体はこんなにも饒舌に語るものか驚いた。
彼は戸惑いながらも受け入れていた。
友人としてでは知り得なかった彼の様々な表情を目の当たりにして、心が揺さぶられた。
(俺の思う、『好き』は違った…)
そう確信した。

全てを終えると数馬はいそいそと身だしなみを整えて背中を向けながら
「帰る」
と無愛想に告げた。
「…もう少し休んでからでも良いだろう」
幸太郎は引き止めた。お互いに三日休暇を与えられているのだから急いで屯所に戻る必要はない。それに、数馬は顔色も悪くふらついている。
しかし
「帰るったら帰る」
と強情に譲らない。
「…わかったよ。帰るなら一緒に帰ろう。不逞の輩に絡まれたら大変だ」
「…」
幸太郎が仕方なく答えるが、数馬からの返答はない。
(照れている…という感じではないか…)
重ねた肌からわかる反応は素直で可愛らしいものだったが、今はまるで全て嘘だったと言わんばかりに拒み、背中を向けている。
幸太郎が袴の紐を結ぶと数馬が歩き始める。河川敷を登る足取りが重そうだったので腰を支えてやると
「いらない」
と手を払われてしまった。その声のトーンは暗く冷たい。
ようやく河川敷を登り、二人は屯所に向けて歩きはじめるが沈黙が続き会話はない。先ほどまでの艶っぽい時間が嘘だったように距離があった。
「…怒っているのか?」
幸太郎が数馬に問いかける。星明りで薄っすらと見える彼は目を伏せて唇を噛んでいた。
数馬は間をおいて答えた。
「怒ってる…」
「そ…そう、だよな。ごめん…」
「…」
「…」
酒を飲みすぎて気分が悪いと言っていた数馬に無理を強いてしまったのだから彼が怒っているのは当たり前だろう。幸太郎は素直に謝ったのだが、数馬は怒りを解こうとはしない。それどころか足を早め幸太郎から逃れるように歩き始めた。
「お、おい、数馬…!」
彼に追いつくのは容易だ。けれどその背中に近づけば近づくほど数馬は距離を取るように歩き、最後には走り出してしまった。
「…っ、おい、数馬!」
ようやく彼の手を取り引き止める。すると怒っていると思っていた彼は複雑に歪んでいた。
眉間に皺を寄せ苦悩に歪み、目は充血し潤んでいる。唇は血が滲むほどに硬く結ばれていた。苦しみ、悲しみ―――。
「か…数馬…」
「お前…俺のこと、からかってるんだろう…?!」
弾くように手を解き、数馬は叫ぶ。夜半にその慟哭はよく響いた。
「からかうって…俺はそんなつもりは…」
「じゃあどんなつもりなんだよ!」
数馬の厳しい剣幕に幸太郎は口ごもる。
(どんなつもり…?)
一体自はどういうつもりで数馬に触れたのだろう。
親友という唯一無二の立場を捨てて、何を得ようとしたのだろう。
「数馬、俺は…」
「俺がどんな気持ちで『友達』だって言ったのか、わかんねえのかよ…!」
薄暗闇の中で彼の目尻がきらりと光った。淡く遠い星のような輝きは、涙に違いなかった。
その時、幸太郎はようやく気がついた。彼と一つになったことを、幸福で満たされたと思ったのはただの勘違いで、ひとりよがりな思いでしかなかったのだということを。
数馬にとって喜びであり悲しみであり…複雑な感情が入り混じった困惑でしかなかったのだろう。どうにか自分の気持ちを抑え込み『友達』だと割り切った努力を踏み躙られたのだから。
しかし、それでも幸太郎を受け入れたのは、
(…俺のことが、好きだからか…?)
わかっても、訊ねることはできなかった。それまで慮ることもできなかった自分がそんなことを訊ねることはできないと思ったからだ。
「…やっぱり、一人で帰る」
数馬はポツリと告げるとそのまま去って行った。
追いかけることはできた。けれどその資格すら己にはないような気がしていた。
幸太郎はその場に立ち竦む。すると頬に冷たいものを感じた。
「雨か…」
小雨だった。けれど人の心の声を聞くには十分な雨だ。
(今は…何も聞きたくない…)
雨に打たれながら、項垂れる。
聞かなくても数馬の気持ちは分かっている。気ままに自分勝手に、彼の気持ちに土足で踏み込み荒らして行った幸太郎のことを許さないだろう。
『友達』ですらない。
その現実に、打ちひしがれた。






謹慎二日目は雨だった。
「…」
「何ぼーっとしてるんだ」
土方に声を掛けられ、総司はハッと我に返った。縁側に腰掛けぼんやりと空を見上げていた。
「いや…雨だなって思っていただけですよ」
「上坂のことを心配しているのか?」
雨というキーワードで思い浮かぶのは幸太郎のことだ。人の声が聞こえてしまう雨の日を彼は憂鬱に過ごすことだろう。
「組下ですから心配はしていますけど…それよりも宮川さんと仲直りできたかなあって」
「ガキじゃねえんだから、今頃酒でも飲んで元通りだろう」
「そんな簡単な話じゃないと思うんですけどねえ…」
まるで他人事と言わんばかりに楽観的な土方の物言いに対して、総司はため息をついた。今朝方、屯所に戻って来た幸太郎の表情はさらに沈んでいた。数馬の方も様子がおかしく
(また何かあったのだろう)
と鈍感な総司までもが察してしまえるほどだったのだ。
土方は総司の隣に腰を下ろした。
「…まあ、人の気持ちが否応なくわかっちまうっていうのも不運なことだとは思う」
「不運…」
「知りたくなかったことも知ってしまう。世の中に知らなくていいことなんて沢山あるだろう」
「へえ…てっきり土方さんは便利だから有効利用しようなんて考えているんだろうと思っていました」
幸太郎の不思議な能力について、土方が同情したのは意外だった。つい先日も間諜の件で
『宮川の無実を証明しろ』
と脅迫まがいに幸太郎を唆したのだ。
土方はふん、と鼻で笑った。
「そこまで鬼じゃねえ。宮川の件を言っているなら、本当に奴が聞こえているのか、隊への忠誠心があるのか試したかっただけだ。あれ以来疑ってねぇよ」
「へぇ、てっきり面倒ごとを一つ減らしたかっただけだと思っていましたけど…そういうことにしておいてあげます」
「ふん…」
土方は否定せずそれ以上は何も言わずに懐から巾着を取り出した。
「お前にやる」
「え?何ですか?」
巾着を受け取るとカラカラと小さな音が聞こえた。ちょうちょ結びになった紐をほどき、中を開けると金平糖が袋いっぱいに入っていた。
「あ、金平糖だ」
「お前が『甘いものが食べたい』って言ってるのが聞こえたんだ」
「『甘いもの』は私の好物だって知ってるからでしょ?」
土方は「そうかもな」と苦笑した。
こんなに近くにいるのに、彼の心の奥底がわかるわけじゃない。もしかしたら心の声が聞こえたとしてもそれが本当の心の声なのかは本人にしかわからないものなのかもしれない。
けれどもわかることもある。きっとこの金平糖は土方が買って来たのだろう。甘いものが苦手な彼が少しだけ眉間にシワを寄せながらも、総司の喜ぶ姿を想像しながら買い求めたに違いない。
(きっとそんなことは心の声でさえ教えてくれないだろう)
「…何を笑っているんだ?」
「秘密です。聞こえるならわかるんじゃないですか?」
灰色の雲から雨が涙のようにこぼれ落ちている。ザーッという音に紛れて彼は何を聞いて、聞こえてしまっているのだろうか。


【だりーな】
【今日は非番だから女でも買いに行くかな】
【腹減った…】
雨が降る中、布団を頭から被っていても心の声は聞こえてくる。隊への愚痴や呑気な戯言…それが誰のものなのかどういう意味を持つのか考えることなく、ただ幸太郎の頭の中で雨とともに流れていく。
幸太郎はひたすら自分と向き合い続けていた。
(俺は自分勝手だ)
数馬がどんな気持ちで『友達』だと言ったのか、その努力など微塵も考えずにその時の衝動で動いてしまった。
彼は戸惑ったことだろう。好きだと思った相手をどうにか『友達』だと思い込んだのに、何故こんなことをするのだろうかと。そして現実に戻った時、浮かれる幸太郎を見て自分の気持ちが軽々しく扱われたのだと絶望しただろう。
(俺はそんなつもりはなかった…)
幸太郎は拳を握りしめる。
だが、口にして伝えなければわからない。数馬からすれば屈辱的なことだったのだから。
謝りたい。けれど
「…でも…どうすればいいんだ…」
『友達』ですらない。自分でもそんな烏滸がましいことは言えない。
この世の中に取り戻せないものは沢山ある。
(これは…心の声を聞いてしまった罰なのだろう)
いっそこのまま数馬と関わらずにいる方が良いのではないか。顔すら見たくもないと彼が思うのならば、切腹を覚悟で脱退すべきではないか。
(心の声が聞こえる…そんな気味の悪い人間、いなくてもいい…)
それが贖罪なのではないか…。
そんなことを考えている時だった。
【宮川の奴、青ざめてどこいくんだ…】
それが誰かの言葉だったのか、心の声だったのか幸太郎には聞き分けることはできなかった。けれど布団を飛び出し、障子を開け部屋を飛び出ると声の主である隊士に駆け寄った。もともとの六番隊の隊士だ。
「数馬がどうしたって?!」
「は?」
「今、数馬のことを言っていただろう!」
隊士は怪訝な顔をする。おそらく心の声だったのだろうが、幸太郎は構わず問い詰めた。その剣幕に隊士は戸惑いながら答えた。
「どうしたもなにも…青ざめて屯所を出て行っただけだ。この雨の中、傘も差さずに行くからどうしたんだって声をかけたんだが返事はなくてな」
「…っ!」
幸太郎はどうしようもない不安に駆られ、隊士の話を聞くやすぐに飛び出した。
心の声が聞こえなくても、数馬が考えていることはわかる。
(きっと俺と同じことを考えたはずだ…!)
薄暗闇のなか、雨が身体に張り付く。
憎らしい雨を掻き分けるようにがむしゃらに数馬の姿を探した。





いつもの大路を抜け、細い小道に入る。すると廃れて人気のない神社の境内にいる人影に目が止まった。膝を抱え顔は俯いていたが、数馬である確信があった。
「数馬!」
「!」
幸太郎が呼ぶとハッと数馬は顔を上げた。彼は幸太郎の姿を見ると逃げ出すように立ち上がる。
【嫌だ、会いたくない…!】
「…っ、待ってくれ、数馬!」
「話すことなんてない!」
幸太郎を拒み、数馬は逃げ出そうとするが草履に付着した泥のせいで体勢を崩した。間一髪で幸太郎が腕を掴み転倒は免れたが、それでも数馬は抵抗をやめなかった。
「離せっ!」
「話くらいさせてくれ」
「嫌だ、今日はお前に会いたくない」
【雨が降っているから…!】
「…!」
心の声が聞こえてしまうから、お前とは一緒に居たくない。
数馬が幸太郎を初めて明確に拒んだ。ただそれだけのことなのに息がつまるような心地がした。
(俺はそのことがこんなにも苦しい…)
幸太郎はゆっくりと数馬の腕を離した。あからさまに狼狽える幸太郎に数馬は充血した目で悔しそうに唇を噛む。
「幸太は…何もわかってないんだ。心の声なんてものが聞こえるのに何もわかってない」
「…わかって、ない…」
「お前は聞かれる方の気持ちがわかってないんだよ!」
それは、パチンと頬を叩かれたような衝撃だった。
いままで聞こえる自分を恨み、責め、なぜこんなことになってしまったのかと嘆いた。知らなくて良いことを知ってしまう自分の方が誰よりも不幸だと決めつけていた。
けれどその痛みは幸太郎だけのものではない。
聞かれてしまう方の恐ろしさ。
それを考えたことがなかった。
(母も、そう思っていたのか…)
幼い頃、 気味の悪い子だと触れ回った母も、本当は聞かれたくはなかっただろう。人間には心のなかにいくらでも言葉があり、母親と言えども常に善意ばかりではないのだから。自分の本性まで知られてしまう恐怖を母は味わっていた。我が子でさえ遠ざけてしまう…それを誰が責められるだろう。
「…っ…ああ…その通りだ」
「…」
【幸太?】
数馬が心の中で自分の名前を呼ぶ。心の中にいる。
「俺は…多分、自分のことが一番わかってなかったんだ…」
幸太郎は目には自然と涙が溢れてきた。情けなくて悔しくて…どうしようもない感情が溢れ出る。
「ごめん…数馬…」
雨粒に混じって何かが溶け出していく。心の声が聞こえるなら、自分の声が聞きたい。
「…お前が泣いてんじゃねえよ…」
【拍子抜けしちまう…】
数馬は心の中で悪態を吐きながらも、怒気が削がれたのか「屋根の下に行こう」と幸太郎を誘い、古びた神社の廃屋に移動した。屋根の隙間からは雨漏りがして蜘蛛があちこちに根城を築き気味が悪い雰囲気だったが、今の幸太郎には気にならなかった。
二人で並んで腰掛ける。けれど幸太郎は打ちひしがれるばかりで何も切り出すことは出来ず、しばらく沈黙した。
数馬がゆっくりと口を開いた。
「話…は、それだけか?」
「…いや、この間のことだ」
「…」
【今更蒸し返すのかよ】
「蒸し返す」
「あ、聞きやがったな」
「聞こえているのを隠すのも気持ち悪いだろう」
「それはそうだな」
数馬はふんと鼻で笑った。いつも通りとはいかないが、彼は幾分か落ち着き拒むことはせずに話を聞いてくれるらしい。
幸太郎はゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。
「…さっきも言ったけど、俺は俺自身のことの方がよくわかっていないらしい。人の気持ちを、心の声を受け流すのが精一杯で…」
「…」
「そんな時に、お前の心の声を聞いたんだ。嘘だって言ったけど、お前は嘘がつけるような人間じゃない」
誰も信用せず頼らず生きてきた幸太郎にとって、数馬が寄せる好意は特別だった。だからこそそれをなかったことにされるのは堪らなく嫌だった。
数馬は口も心も黙って聞いていた。
「…なんだかお前の気持ちに触発されて…そうなったみたいで、なんだかガキっぽいだろう。だから、ちゃんとした気持ちなのかと言われたらわからないんだ」
「それなのにヤっちまったと」
「…」
それを言われると元の子もない。幸太郎が二の句が告げずに口を噤むと、数馬が「あーあ」とため息混じりに声を上げた。
「数馬?」
「俺だってお前が一番隊に移動するまでこんな気持ちにならなかったんだ。阿木とだってうまくいってたし…でも、お前が他の奴に取られるみたいで、嫌だった。俺の方こそ本当はガキっぽいんだ」
【それで逃げ出したんじゃ、みっともねえよな、全く…】
数馬は両手を高く上げて背伸びをしながら、続けた。
「俺だってあの夜は…打算的だった。お前とこのまま通じてしまえばいいって。だけど朝になってお前が何も言わないし、平気な顔をしているから…遊ばれたのかと」
「平気な顔なんてしてない」
「わかんねえよ、そんなの。俺の気持ちを聞いているくせに、お前は何も言わないんだから」
数馬は拗ねたように口を尖らせる。
気の合う友人であり、心を許せる親友だ。けれどいまは別の感情が勝る。
「…じゃあ、言う。お前が好きだ」
「…」
たとえ今日が雨でなかったとしても、人の心の声が聞こえなかったとしてもわかる。数馬はまるで茹でた凧のように顔を真っ赤にして「くそ…」と恥ずかしそうに顔を背けた。
卑怯なのは自分の方だった。人の気持ちを探してばかりで、自分の心の声を聞かずにいたせいで遠回りをした。
ちゃんと口に出して気持ちを伝えていれば、こんな土砂降りの雨の中で走り回ることはなかったのだろう。
幸太郎は数馬の肩を掴んだ。
「見るなよ」
と必死に視線をそらす彼を抱きしめた。
雨に濡れた二人の身体は重なれば重なるほど温かい。
「お前もちゃんと言え」
「…心の声が聞こえてるんだろ」
「心の声が全てじゃない。お前が選んで口にした言葉だけが真実だ」
「…」
もごもご、と耳を擽るような小さな声が聞こえた。聞き取れないほど小さな声だったが、彼の心の声はより明瞭に幸太郎の鼓膜を揺らしたのだった。


雨が上がったのは、深夜だった。空気が澄んで星が一つ一つその身を輝かせるように瞬く。
その星空を二人並んで眺めながら数馬がポツリと言った。
「…ひとつ、約束してくれ」
「なんだ?」
「雨の日は…お前は俺の心の声を聞いてもいい。そのかわりお前も自分の心の声を俺に教えろ。嘘はつくな…そういう日にすれば、平等だろ?」
数馬が微笑んでいた。
邪気のない、屈託のない、その笑顔が好きだと思った。
「ありがとう」









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