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わらべうた



536


初夏の兆しが見え始めた七月のある日。
総司は近藤とともに彼の別宅へと向かっていた。
「近藤先生、お孝さんとのことなら私じゃなくて土方さんに付き添ってもらった方が良いんじゃないですか?」
『お孝と大切な話があるから一緒に来てくれ』
近藤に懇願されて同行しているものの、色恋沙汰に疎い総司が役に立てそうとは思えなかった。しかし近藤は笑った。
「俺もそう思ったんだが…歳は総司を連れて行った方が良いというんだ」
「なぜでしょう」
「わからないが、『新撰組の鬼副長』が傍にいてはお孝も萎縮してしまうだろう」
「お孝さんが土方さんに対して萎縮しているようには見えませんけど」
「それもそうだな。あれは歳に負けず気が強い」
そうしているうちに別宅の姿が見えてくる。ちょうど玄関周りの掃除をしていたみねがこちらに気がついた。
「まあ近藤せんせ、沖田せんせも…よういらっしゃいました」
「毎日ご苦労様です」
「評判の菓子を持って来たんだ。…お孝はいるかな?」
「へえ、どうぞどうぞ中へ」
みねに促され、総司は近藤とともに中に入る。我が家だというのに近藤の横顔は先ほどまでの気楽な会話が嘘のように強張り、緊張しているように見えた。
庭が見渡せる部屋に入り最初に深雪の仏前に座った。ピカピカに磨かれた仏壇には鮮やかな花が備えられている。二人で手を合わせ、少しして顔を上げると近藤はまだ深々と目を瞑ったままだった。
(近藤先生…)
その横顔は深雪と話し込んでいるようだ。どんな会話を心のうちで交わしているのかわからないが、それは強張った近藤の表情に顕れているようだった。
そうしていると孝がやって来た。
「…おこしやす」
近藤と総司を見ると丁寧に膝を折り深々と頭を下げた。深雪に似た美しく整った顔立ちだが、相変わらずの仏頂面だ。
深雪の死を経て一旦は家族として絆が結ばれたが、近藤が縁談の話を持ち出したことで再び距離が開いてしまったのだと先日近藤が語っていた通り、孝には何かふつふつとした苛立ちが見えた。
「やあ…これは土産の茶菓子だ」
「おおきに。お茶を入れてまいります」
「もうおみねさんにお願いしているよ。…お孝、話があるんだ」
「…」
近藤は孝の前でいずまいを正した。真摯な表情で孝を見つめる近藤と、それを受け止めまっすぐに返す孝…二人の間には他人を寄り付けない緊張感があった。
「…近藤先生、席を外しましょうか」
「いや、このままここにいてくれ」
「はい…」
総司は戸惑いながらも従い近藤の後ろに控えた。近藤はすっと息を吸って、ゆっくりと吐いた。
「お孝。…君には今まで縁談や養子縁組の話を持ちかけて来た。全て君は断ってしまったけれど…君のためになると思ったからだ。ここにいたままでは傍目には『新撰組局長の妾』として好奇な目に晒されてしまう…それを申し訳なく思っていた」
「…」
「君にはここから離れて、新しい人生を歩んで欲しい…そう願っているのは間違いなく本心だ」
「うちは…」
孝は何かを言いかけて止めた。苛立ちから悲しみへと変わる。
代わりに近藤が続けた。
「だが…だが、それだけが俺の心のうちの全てだというわけではない」
「え?」
俯いていた孝がふっと顔を上げた。
「俺は…君にここにいて欲しいと思っている」
「…うちが姉を亡くして身寄りのない、可哀想な女やからでしょう…?」
「違う」
「せやったら、お姉ちゃんに似てるから?お姉ちゃんの代わりや」
「君と深雪は違う!俺は君を幸せにしたいと思ったんだ!」
近藤の言い放った言葉に、孝は目を丸くした。だが徐々に赤らんで行く近藤の表情を見て総司でさえその意味を察することができた。
「…どうにか君に幸せになって欲しい。そう思って最初は縁談に奔走し、どうか良い相手と巡り合って欲しいと思ったんだ。だが…次第に迷いが生じた」
「迷い…」
「商家の次男坊や医者の卵…ツテを頼り色々紹介していただいたが、どんな男でも俺は納得ができない。いつしか、『俺なら…』とそんな青臭いことを思うようになった」
近藤はまるで思春期の少年のように顔を真っ赤に染めている。聞いている総司も居心地が悪くなるほどまっすぐな告白だ。孝も近藤につられるように恥ずかしげに俯いた。
「確かに最初は深雪の妹としての身請けした…でも今は違う。君がうんと言ってくれるなら…このままここで暮らしてくれないか?俺を支えて欲しい」
「妾…ゆうこと?」
「君が許してくれるなら」
「…」
「いや、違うな…。俺がそうしたいんだ。深雪と同じように大切にしたい」
近藤の向けるまっすぐな感情は、本人の自覚なしにその人の心を揺さぶる。固く強張っていた孝の表情は徐々に解けて行く。
提案する縁談を悉く断り続けた孝にも近藤と同じような気持ちがあったのではないか…見守る総司はそう思ったが、それでも孝は簡単には応えず首を横に振った。
「…うちには、無理やと思います」
「何故だ」
「お姉ちゃんみたいにお淑やかで優しくあらへん。似てるのは顔だけ…旦那様もいつか愛想尽かしはります」
「俺はそう思わないが…今後のことは誰もわからないじゃないか」
「いやや…」
近藤がそう言っても、孝は拒んだ。
「お姉ちゃんの仏前で…こんな話、聞かせたくない」
「深雪の前だからこそだ」
孝の困惑を断ち切るように近藤はきっぱりと断言した。
「俺は君や深雪に嘘をつきたくない。だからこうして深雪の前で話をしているんだ」
総司は近藤が深雪の仏前で深々と手を合わせていた理由を察した。姉であり妾であった深雪に許しを乞うていたのだろう。そして近藤なりに深雪の返答を聞いたはずだ。
孝は目に涙を浮かべた。
「…お姉ちゃんに申し訳ない…」
「深雪が君を叱るとでも?もしそんなことがあれば俺が誠心誠意、謝ろう。君の妹に惚れてしまったのだと」
「…っ」
近藤の告白に、孝は両手で顔を覆う。
悲しみか喜びか迷いかーーー彼女にも彼女なりの葛藤があるはずだ。その涙の意味は彼女にしかわからない。
しばらく静かな時間が流れ、孝のすすり泣く声だけが部屋にこだましていた。
近藤は待ち続けていた。孝の答えを、言葉を。けれど孝のなかで簡単に答えが出ることではないだろう。けれど断らずに迷うということは、彼女のなかに近藤の気持ちを受け入れることができる下地があるのは確かだろう。
「最初は家族としてでいい。徐々に俺を受け入れてくれないか?」
「…」
孝はゆっくりと顔を上げた。幼子のように目元を真っ赤に晴らした彼女は、帯に挟んだ簪を近藤の前に出した。
「これは…」
「…旦那様が廣島へ行かれていた時に、思いを込めて預けられていた簪です。うちが…死に際、お姉ちゃんから受け継ぎました」
古い簪だが綺麗に磨かれている。姉妹にとって大切なものなのだ。
「廣島に行かれている間、お姉ちゃんからずっと旦那様のことを伺いました。とても…とてもお優しい、素直な方だと。大坂での馴れ初めやここでの暮らしぶりなんかも嬉しそうに…。うちはすぐすぐには受け入れられへんかったけど…せやけどお姉ちゃんが旦那様をとても好きなのだということはわかりました。せやから何遍も同じ話聞いてるうちに……」
孝は唇を噛み、言葉を詰まらせた。
彼女は顔以外は似ていない姉妹だと語ったが、そうではなかったのかもしれない。強情で活発な孝の内面が深雪のそれと似ているのだとしたら、深雪の話を聞いているうちに触発されて同じ気持ちを抱いてもおかしくはない。
「…これを受け取った時…旦那様のことを任せるて、お姉ちゃんに言われたような気がしました。もしかしたらお姉ちゃんはうちの邪な気持ちに気づいていたのかもしれまへん…」
「そうかもしれない…深雪は聡い女子だった」
「うちは迷うてました。でも他の殿方と縁談やなんて考えられへんかった…」
深雪の思いと、自らの感情と、近藤の親切。孝はその全てに挟まれて苦しい思いをしたに違いない。
孝はグッと唇を噛み、目尻の涙を拭った。
「せやからうちは…お姉ちゃんの気持ちを、受け継ぎたいと思うてます」
この簪に込められた思いを絶やさないように。
孝は居住まいを正した。
「不束で…我儘で面倒やと思います。それでもよろしければ…よろしく、お願いします」
孝は深々と頭を下げる。
総司には深雪が初めてここにやってきた時の凛とした姿に似ているような気がした。


総司が部屋を出ると、台所の片隅で涙を拭うみねの姿があった。
「おみねさん…」
「ほんまに…ほんまに、おおきに。ありがとうございました」
「私はなにも…近藤先生がお決めになったことです」
「へえ、ありがたいことです」
みねは涙を滲ませながらも笑顔を見せた。孝の祖母として彼女の本心に気がついていたのかもしれない。近藤が縁談を持ち出した時に複雑な表情を浮かべていたのもそのせいだろう。
「これからも近藤先生をお孝さんをよろしくお願いします。土方さんの別宅は私もお世話しますし、時々で良いですから」
「おおきに。せやけどどちらもうちのお仕事。気張ってさせてもらいます」
みねは笑って呟いた。
「お孝様がお幸せになることが、うちにとって贖罪になると思うてます」
「…そうですね」
総司は頷いた。
初夏の晴れ晴れとした青空が眩しい。ここにいる誰もが晴れやかな気持ちになっていることだろう。









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解説
なし
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